罪と罰1

このタイトルからすると、
ドストエフスキーの本を読んだ感想文でも書きそうな勢いだが、
生憎まだ読んでいない。
いずれは、読もうとは思っているが敷居が高い。
祇園の床みたいなもんだ。

今日のネタの罪と罰は、人が罪を犯したときの罰をどう受けるべきか、
どの程度の罰を受けるべきなのか、常日頃気になっていたテーマであり、
人の意見を聞いてみたいと思ったから、
自分の意見の整理のためにも書いてみようと思う。


僕が考えるには、罪には2種類あると思う。

1.自らの判断で罪を犯すことを選択した罪
2.誤って、自分の判断できずに罪を犯してしまった罪

結論を言うと、
前者の罪に対する刑罰は、非常に重くして欲しい(例えば極刑)。
そして、後者の罪に対しては、やや軽くして、その代わり正しく判断できるよに教育するところに重点を置くべきではないのか
当然グレーゾーンというのは、存在すると思うので
曖昧な部分に関する罰というのは、慎重に議論すべき点ではあると思う。
ここでは、その曖昧な部分に関する罪についてではなく、
明らかに1の罪、2の罪に分けることができるケースの話をする。


例えば、飲酒運転という罪がある。
この飲酒運転は、誤って酒を飲んでしまったというケースは考えられない。
僕もたまに、飲酒運転をすることがあるのだが、
期待値を計算してしまう。

(飲酒を選択した時に支払わなければならない金額の期待値E)
  ‖
(飲酒運転で捕まる確率)×(罰金30万)

この期待値Eが、運転代行を頼むのに掛かるコストを下回るようであれば、
飲酒運転を行うという判断が妥当であると思う。

このような状況に大いに不満を感じるのである。
飲酒運転で捕まる確率を上げるか罰金を上げるかのどちらかの策をとるべきだと
考えるのだが、飲酒運転を取り締まる確率をあげようと思うと
コストをかけずに行えるとは考えられない。
例えば、警察官を増やせば捕まる確率はあがりそうである。
しかし、毎年一定のコストが生じる。

となれば、罰金を上げるべきである。
罰金を上げるのにコストがかかるのであろうか?
法律を変えるのに固定的なコストが一瞬かかるが、時間に比例するようなコストはかからないわけだから、低コストであると考えてよいと思う。

このように1に分類できるような犯罪については、罰を重くすることで
抑止力を作り出すことが容易である。
しかし、なぜか行われない。
なぜだろう?

この部分の視野を広げるためにいろいろな人の意見を聞きたい。

飲酒運転のケースの場合、

1.地方の飲み屋の運営が成り立たなくなるかもというデメリットがある。
(僕自身は、このデメリットはそんなに大きくない雰囲気は感じるのだが、、、
 むしろ派手に飲める?)
2.罰金による収入減が予測されることにより、警察組織の維持が難しくなる?
(警察的には、ある程度違反してもらった方がいい?)

こんなところか。
1は、理由にならない気がするんだけど、、、
それなら、飲酒運転を違反にするべきじゃないだろう。
2は、犯罪が減れば警察組織のある程度の縮小は仕方ないかもしれない。
まぁ治安を守れる程度には維持しないといけないから、国民の税金でまかなうべきだろう。

うーん。わからん。
すっきりして欲しい問題である。
明確な反対意見お待ちしてます。

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