カンニングで自殺?!

毎日新聞の社会面を見てちょっと衝撃を受けた。
高3の男の子が、中間試験の際カンニングを疑われ自殺した。
もうちょっと詳しく書くと、
2時間目の物理のテスト中に、1時間目にあった社会科に関する資料を机の上に出していたために試験監督の先生に注意を受けた。
そして、その日テストが終わったあと二時間ほど先生から呼び出され事情聴取を受けたそうだ。
そして、その後いったん帰宅した後飛び降り自殺をしたらしい。
母親の携帯に「本当に本当に迷惑をかけてごめんね」と遺書めいたメールが届いたらしい。
母親は、「学校からは【カンニングをしたとは認識していない】と説明があったが、それならなぜ2時間も事情聴取をしたのか。それが原因としか思えない。悔しかったんだろうと思う」とのこと

この記事から推測すると、死んでしまったから真相が分からないのだが、学校側の主張するように、「カンニングはしていない」という立場で生徒を扱ったのだろうか?
自殺する前に母親に報告があったのであれば、その可能性は高い。
だとすれば、何で死んだのだろう。
無実なのに疑われるという経験が、その授業に対するモチベーションを下げるということはよくある。
特に若い頃はそう。
いや、年をとってからだともっと影響が大きい。

しかし、問題は、カンニングを疑われる行為をしたということである。
自分は、カンニングをしていないということを自分自身が分かっていても、その潔白さを相手に伝えなければならない。
ポイントは、そこである。
この疑われる経験を通じ、社会の中では、相手の立場にたってものを考えることが必要という勉強ができたチャンスだったのにそれを生かせなかったのがすごく残念だ。
先生の対応も今では闇の中だが、すごく気になる。
犯人扱いをしたのではなかろうか?
だから、自殺まで、、、
しかし、最近の子はしかられるという経験が少なく生徒を注意する際にすごく気を使う。
明らかに生徒が悪いことをしていても、あまりきつく叱れないし、またそれを見透かすような行動を取る生徒がいたりもする。
本当に弱いのだか、あくどいのか分からない。
なんていうかうまくいえないけどキレやすい。

だから、自殺したからといって先生がやりすぎたのかまで分からない。


僕は、こんな風に教えている。
文字式を書く際に、次数の大きい順に並べ替えて書くことを教える時、
「学校の先生達、数学をやっている人の常識では、次数の大きい順に並べて書くことになってるから、そう書きやー。
そうしないと、学校の先生が採点する際に採点間違いをしやすいでー。
あってるのに間違ってるって思われたらあほらしいやろー。
相手の立場でものを考えなあかんで。」

相手の立場を考えることができるのが社会性であり、コミュニケーション能力である。
「その力が僕の授業を通じて、少しでもついたらいいのにな」、そう考えている。
実は、学校のテストもそういう視点が加われば、ものすごくコミュニケーション能力を確かめるいい機会なのであるが、、、
世論はそう思っていないらしい、一部のキャリアの不祥事や、使えない高学歴の人を叩いて、
「学校の勉強だけじゃない」なんて当たり前のセリフをはく。

世の中のお母さんの中にも、
「勉強そのものは、役に立たない」そう考えながらも、
「学歴社会だから、塾に行かせよう。いい学校に行かせよう」
そういう矛盾する動機の下に子供を勉強の場へ送り出す。

矛盾した動機の中で人は、成長できるのだろうか?
よくわかりません。